中庸に生きる

こんにちは、Yumiです。

中庸に生きる。

いやいや、そんなむつかしい言葉知らんねん!!

とツッコミを入れたくなるタイトルです。

まぁそんなこと言わず、考えてみましょうよ。

なーんて、カッコいい台詞を言っていますが、実は私もよくわかっていません。

ごめんなさい。

目次

中庸ってなんぞや

先日、とある学びの場に足を踏み入れました。

私は、新しい風を吹かせるために、定期的に新しい学びを始める。

今回は、なんていうか、数年前に直感で繋がった方。

堂々と柔軟に自分の人生を生きる姿に、勝手に尊敬をしています。

その学びの中で、その方が大切にしている価値観の一つとして「中庸」という言葉を使われていました。

中庸。

なんぞや???
日本語なのか???
わからないのは、私だけなのか?

本は睡眠導入剤、国語のテスト問題でさえ理解できず寝てしまう私です。

そんなむずかしいことば、私の辞書には記載されていません。

中庸を噛み砕いてみると

というわけで、調べてみると

  • 極端な意見にかたよらないこと。
  • 世の中に矛盾があることが前提。どちらも鵜呑みにせず、そのときそのときで、最善の答えを出す努力

のようです。

私なりの解釈でいうと

「いろんな考え方を一旦受け入れ、自分にとっての最善の選択を尽くせ」

ということでしょうか。

「正解・不正解」で判断を下すのではなく、

「最善解・納得解」を選んでいく生き方、とも言えるかもしれない。

障がい者とフツウ

障がい者の支援に関わっていると、いわゆる「フツウ」から離れている方々と出会うことも多い。

考え方、生き方、行動。

全てにおいて、なんだかズレている。

私も、結構変わった人間なので、フツウからかけ離れています。

が、初見の人にはフツウに見えるらしい。

自分のことを「フツウ」だと思っている人たちにとって

この違いを理解しきれないご家族、友人、会社の方々は困っているでしょう。

そして、理解してもらえないご本人さんも困っている。

常識とか当たり前とかで、くくらないでくれ、と時々思う。

残念かな。

生まれた世の中が日本だから、それが少数派なのかもしれない。

令和の時代だからかもしれない。

国や時代が変われば、多数派なんだよ、きっと。

つまり、どちらだっていいじゃんね。

それぞれが、元気に生きていれば。

何が正しくて、何が正しくないのか、誰も知らない

フツウってなんだろう。

男の人が女の人を好きになること?

毎日3食食べること?

朝7時には起きること?

子どもにワクチン接種をさせること?

ちょうど今、東京都知事選が始まっていて、立候補者のさまざまな意見が飛び交っている。

リーダーとして前に立つ彼らの意見の違いや、それを受けて感じている日本人たちの意見の違いが嫌でも目に入る。

本当にみんな意見が違う。
共通の意見なんてない。

何が正しくて、何が正しくないのか。

それは、もう、誰にもわからないことだよね。

それならば、考え方・感じ方の違いがあるとわかった上で、自分はどうしたいのかを選べる人でありたい。

今後も、新たな思考の変化が出ることを前提として、今の自分は何を選ぶのか。

自分の中に軸を持っておこう。

それのヒントとなるのが「価値観」なのかもしれない。

なんだか、くさい言葉だけど、私は「愛」をベースに選択をする。

今ここ100%の愛で、中庸に生きる女性であろう。

それが、今の私が納得できる「中庸に生きる」の答えである。

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