【コラム】仮面

学校が示す優等生像
監督が求めるキャプテン像
家族の調和を保つ聞き分けの良い娘像……。

誰に学んだわけでもないが
人の期待を感じとって生きてきた。

そのおかげで、多くの力が引き出された。

度胸、勇気、補佐力、リーダーシップ、臨機応変さ。

大きな人に認められるため、
小さな力をフルに使って発揮していた。

そんな私にとって
正しい道を示してくれる目上の人がいない社会人一年目は、大きな挑戦だった。

まるでボート一台で大航海を
始めるような感覚だった。

アナログの地図しか持っていない。
正解は誰も教えてくれない。

目指すべき道がなく、
どうしたらいいか一気にわからなくなった。

全く人の期待を感じなかったわけではない。

会社の上層部は雇ってくれた。
しかし、どうも、お金を稼ぐ駒として
扱われているようで、
苦しかった。

今思えば、そんなことはない。

ビジネスだからお金稼ぎは必要で、
病院を大きくすることで
助けられる人が増えていたのかもしれない。

私が作業療法士として
求められている背景には、
クライアントさん達の
「健康」という尊い目的があった。

しかし、当時はどうも素直に受け入れられなかった。

私って、何のためにこの会社にいるんだろう?
何のために作業療法士になったんだっけ?

自分の正しい役割が見えなくて、
職場での私の存在意義がわからず、
もやもやもやもや。

お金のためには働きたくない。
患者さんたちのために働く作業療法士でありたい。

その譲れない軸が見え始めた頃だった。

同僚達と数人で乗車していた
仕事帰りのバス。

同期に、悩みをこぼしていたような気がする。

すると
「ゆみは、ゆみのままでいいんだよ」
とさらりと言われた。

私は私のままでいい?

私は私のままでいいのか‼︎

ストンっと
肩の大きな荷物が
消えてなくなった瞬間だった。

会社や社会に馴染めないのは、
自分の能力が足りないからだと
勘違いしていた。

人から評価してもらうために、
また別の仮面を
作らなければいけないのかと思い込んでいた。

そうじゃない。

仮面は作らなくていい。
どの仮面も使わなくていい。

私が私のままで働き、作業療法を提供する。
足りない技術は勉強すればいいし、
先輩や他職種に補ってもらっても良い。

その後は、本当に
たくさんの同僚たちに支えられた。

クライアントさんたちを思って、
皆でたくさん話しあった。

勉強もたくさんした。

たくさん背伸びをしたり、
時々こっそり休んだり。

そうして、先日辞めた職場で、
クライアントさんから言われた言葉。

「ほんださんに出会えて、本当によかった」

私は私でいることに意味がある。
今の私だからこそ届けられる人がいる。
与えられる価値がある。

今日も、誰かの期待を感じ、
私は私として生きていく。
親や社会のレールから外れる勇気を持とう。

大丈夫。あなたは十分なのだから!

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