オーストラリアを一周してみたい。
ただ漠然とした野望を抱え、
ワーホリに行く決断をした。
決めるまで、しばらく迷った。
いや。迷っているフリをした。
今思えば
心の中では「行く」と決めていて、
時間をかけながら、
行かない理由を潰していくにすぎなかった。
26歳春。
なぜあのタイミングで
「行きたい!」と浮かんだんだろう。
高校三年生の卒業間際、
3週間だけオーストラリアでホームステイをし
「もう一度行きたい。もっと長く行きたい!」
と強く心に刻まれていた。
しかし、その後はすっかり忘れて、大学生活を謳歌していた。
ワーホリに行ったのは、
それから8年後。
ふと浮かんだ、が理由だ。
何かがある。
直感が教えてくれた。
ワーホリに限らず、
生きていると、理由もなく
「やろう!」と思い立つことがある。
つい理由探しをしてしまうが、
きっと、理由なんてない。
理由があっても、
思考ではなく
魂が理解していることなのかもしれない。
人を好きになるのに理由はない、のと同じだ。
日本に生きていると、
将来のため、未来のため、
決められた道を突き進むのが良い
という暗黙のルールが
存在しているように感じやすい。
誰が決めたのかわからない。
大正時代、昭和時代の大人たちが、
後世の幸せを願ってつくったのだと思う。
この思いはありがたいが、
私が生きているのは令和時代だ。
今を生きる私の幸せを選択するのは、
令和を生きる私だ。
好きに生きればいいじゃない。
人生一度きりだもの。
やってみたかったから、やってみたの。
あれは、やらない方が良かったわ。やっぱりね。
それもあり。
令和の次は、何時代だろう。
そのころの私はお婆ちゃんかな。
いずれにせよ、
「ゆみ婆ちゃんって、いつも楽しそうだよね」と曾孫に言われるのが夢だ。
いつでもケラケラ笑って
人生を語れる女性でありたい。