【コラム】実験

「ママ、お茶!」

ある日の食卓。
私は母であるが、お茶ではない。

小さい頃から娘は実験が好きだ。

切って、混ぜて、焼いたら、
美味しいモノが出来上がる料理は、
彼女にとってワクワクの実験だった。

ある日、
「ママ。今日の夕ごはんは私がつくるから何もしなくていいよ」
と頼もしくも、
ヒヤヒヤする発言をもらった。
確か小学校に上がる前だった気がする。

お気に入りの赤いエプロン、
頭にはバンダナ。

一丁前に母より主婦らしい格好をしてキッチンに立つ。

親の見よう見まねで、
粉やら調味料やらを混ぜ合わせる。

途中で思いついたかのように冷蔵庫を開け、
別の材料を加え、楽しそうだ。

まさに実験の気分なんだろう。

気になって、私が様子を見に行くと
「ママはこっち来なくていいの。座って仕事してて!」

自立した小さな料理人の鋭い指摘。

ドキドキしながら、
遠くから横目で見守る私。

ついに、火を使う場面にやってきた。
フライパンに火をつけオリーブオイルを垂らす。
恐る恐る、放り投げるようにタネを落とすと、
バチバチはねて苦い顔。

「ママ。来て!油がはねるの!お願い!」

ここでようやく、私の出番。
ホッとした。
ゆっくりやれば大丈夫だよ、と見せながら伝えてみる。

親であれば、子どもの安全を守りたい。
ましてや刃物や火は、使い方を間違えれば一大事。
きちんと教える必要はある。

しかしながら、不必要に多くを制限するのは、
少し違うと感じている。

危ないからやらせない、
失敗させたくないから事前にストップをかける。
これでは、彼らの学びの機会を奪いかねない。

できるだけ、大きな危険がない範囲で、
子どもが挑戦できる環境を整える。

失敗してもいい。いや。失敗した方がいい。

悔しい。
楽しい。
次はどうしよう?
どうしたらうまくいく?

そうやって何回も失敗して、挑戦して、成功していくおもしろさ。

失敗から学ぶ経験は、大人になってからの財産だ。

親ができるのは、子どもの成長を見守ること。

まるで植物を種から育てるように、
愛情という太陽の光を存分に与え、
水を与え、
雑草を抜き、
時に栄養分を与える。

決して、真上に引っ張り上げることはしない。
抜けてしまう。

彼らは自分で成長したくて仕方がない。
その気持ちを信じ続けて見守るのだ。

そして完成した本日の夕ごはん。

根拠のない想像力豊かな娘の料理は、
私の心をほっこりと温めてくれる贈り物だった。

今日も我が家では実験が繰り広げられる。

私はチラチラ見守る名助手だ。
彼女が繰り広げる劇場に、
ドキドキワクワクしているだろう。

私だって、親としての成長の芽が伸びたくて仕方がない。

頑張れ、私。
頑張れ、娘。

 [山本2]C

ねじれ文章なので、修正お願いします!

 [HY3]これでも、ねじれ?

 [山本4]ここの表現が気になったので、打ち合わせで確認させてください!

 [HY5]別の表現もできそう。

 [山本6]「宝物」

「贈り物」

「プレゼント」

とかどうですか?

 [YH7]贈り物でいきます

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