子どもの頃、私の母は
家族のために
全ての時間を使っていた。
そんな彼女を心から尊敬している。
フツウ、できない。
昭和を生きた
私たちの両親世代は、
夫のため、
子どものため、
家族のために
自分の時間を差し出す価値観を良し
とする社会で育った。
結婚したら仕事を辞め、
掃除、洗濯、料理、育児……。
家族のために
果てしなく貢献する毎日がフツウ。
令和を生きる今の私からしたら、
あり得ない貢献だ。
そうやって母の頑張る姿を見て、私たちは育った。
そして、私の根本には
「家族のために時間を使うべきだ」
という考えが居座っており、
それができない母親業数年は、
苦労していた。
- 子どものために、三食手作りをする。
- 子どものために、手作りの幼稚園バックを用意する。
- 子どものために、大好きな仕事を辞める。
- 子どものために、苦手なママ友とランチをする。
それが幸せなら、すればいい。
でも、苦痛で自己犠牲の思いが
生まれるなら、
手放してもいい。
他の人やサービスに、たくさん助けてもらえばいい。
きっと、自分のために
親が犠牲になって
責任をなすりつけられるなんて、
子どもからしたらナンセンス。
「子どもは好きなことをしなさい」
と言う親も、
好きなことをすればいい。
母としての役割だけにとらわれず、
一人の人としても自分を大事にしていこう。
子どもも大事。
私も大事。
自分も人も
両方とも大事にする在り方を、
令和の子どもたちに見せていこう。