愛の中で、人は生き、人は育つ。
子どもへの愛は、親だけに限らない。
孫に喜んでほしくてお菓子をあげるのも愛。
虫歯を恐れてチョコレートを食べさせないのも愛。
安全を願ったコロナ禍のステイホームも愛。
可愛い子に旅させ続けるのも愛。
どれも、愛。
いろんな愛のカタチがあっていい。
個人的には
「大好き!」と感じたままに
相手に伝えられる人でありたいけれど、
そうじゃない人もたくさんいる。
そもそも、私は元々、愛の表現は不器用だった。
「大好き」「愛してる」なんて
家族やパートナーに、ほとんど言ったことがなかった。
「愛しい」という感情を味わっておらず、
伝えたいとも思わなかった。
冷めたやつかもしれない。
思考を使っていたから、わからなかったというべきか。
しかしある時、そこには
溢れる愛が存在していると気づくタイミングがあった。
私はこんなにも大きい愛の中で育ってきたのか。
そして、今私は、愛とともに生きている。
仕事も、子育ても、自分や人とのつながりも、
根本にある愛情から繋がって生きている。
そんな自分を存分に感じ始めたら、
溢れる「大好き」「ありがとう」を伝えたくなってきた。
最初は照れてコソコソ話だったけれど、
徐々に素直に表現する気持ちよさを知ることができた。
素直な自分、万歳‼︎
みんな、大好き‼︎
とはいえ、地域で暮らしていれば、必ず出会う。
わかりにくい愛の表現に。
日本は特に、言葉にしない民族だから。
そんな時は、私の出番だ。
愛の通訳をすればいい。
その人の行動にはどんな愛が込められているのか。
曲がって、曲がって、曲がった先にある温かい愛。
子どもと一緒に探してみるのもいいかもしれない。
私たちの全ての行動は、愛。
たくさんの愛のシャワーを浴びさせる。
そして、私という存在は、
目に見えないでっかい愛の中で生き、
かけがえのないオンリーワンだ、
と感じながら大人になる。
それこそが、究極の子育てなのかもしれない。
