【コラム】好きな人と好きな私

長野に移住して数年は
近所に友人がいなかった。

いや。友人はいた。

しかし、心を全てオープンに
付き合える友人がいなかった。

知り合っていく人たちは、
娘や元夫繋がりの人ばかり。

〇〇ちゃんのママ
〇〇さんの妻
という役割の中で見られているようで、
一個人として存在していない
感じがあった。

今思えば、それは私の勝手な勘違い。

私が勝手に作った壁。

しかし、その役割という壁を
越えられない自分がいた。

なぜなら、怖かったのだ。

ほんだゆみとして
存在していたい。

しかし、ほんだゆみとして
受け入れてもらえなかったら辛い。

ただでさえ
近所に友人がいなくて寂しいのに、
さらに独りになってしまうではないか。

それならば、
役割という緩衝材を
一つ挟んで生きていた方が楽だ。

言い換えれば、
私が得意な仮面をまとう生き方が楽だ。

もし受け入れてもらえなければ、
仮面の色・カタチを
微妙に変えていけばいい。

相手に合わせて自分を変える。
そうすれば、
受け入れられなかった時のショックも小さい。

そうやって自分の身を守っていた。

そんなある日。
長野の友人姉妹に言われた。

「私たちのビジョンには、ゆみちゃんがいるよ。
尊敬しているよ。
一緒に未来を創っていきたいよ」

母でもなく
妻でもなく
作業療法士でもなく
私として存在を見てくれている友人。

驚いた。

壁をつくっていたのは私だと
直面したタイミングだった。

それでも、時間はかかった。

どこまで話して良いんだろう。
嫌われないかな。
軽蔑されないかな。

こんな素敵な彼女たちに好きだと言われて、
いつでも存在を受け入れてくれて。

なんて幸せなんだろう。

そうやって少しずつ、
自分のことを話すようになった。

生身の私が感じていることを、
ありのままに表現する。

嬉しいことも
悲しいことも
相手にどう思われるか不安になる気持ちも
そのまま伝える。

心の奥底に大事に抱えている
どんより曇ったソレ。

重くて、暗くて、触りたくもない。

しかし、思い切って外に出して
人と共有してみたら、
案外軽かったと気づいたりする。

濡れた洗濯物のように
太陽光に当たると
カラッと乾いてしあわせな
温かい匂いに包まれる。

なんだか、ソレ自体も喜んでいるようだ。

毛嫌いしていた頃が、
笑いのネタに変わったりもする。

誰しもが、そんな経験あるのではないだろうか。

そういえば、大学生の頃、ある友人に言われた。

あの時も、仮面をかぶって
生きている自分が嫌いだった。

「ゆみのことが大好きな友人がたくさんいるんだよ。
自分が嫌いだなんて、その人たちに悪くない?」

そのとおりだ。

こんな私でも、好きだ
と言ってくれている友人がいる。

こんな私だから好きだと
言ってくれているのかもしれない。

正直に、私は私らしく、
私を生きていけば良いじゃないか。

好きな私で生き続ける。
隠したってしょうがない。

私は私なのだから。

好きな私を好きだ
と言ってくれる人たちと生きる無性の喜び。

味わう幸せ。

今世は一度きりだもの。

好きなように生きていこうじゃない。


 [YH1]タイトル変更しています

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